2009年10月4日日曜日

青短に決定

青短はスチュワーデスになりたくて受けたのだが、ほとんど行かないと決めていた。その時、母といっしょに働いていたお医者さんが、すごくいい学校でなかなかうからない、いかないでどうするのと言ってくれて、急遽ぎりぎりでいくことに決まった。その人がいなかったら絶対に為替に出会うことはなかったと言っても過言ではないだろう。これ以上の天職はないと思っているので、その方にはすごく感謝している。その時が私の人生の岐路だったのかもしれない。