2009年8月9日日曜日

軟式テニス

中学でテニスを始めて、別に強豪校でもないからコーチもいなかったが、結構いい選手で、周りにファンの子がいたりした。そのころはテニスが大好きだった。中学浪人してでも入る全国でも有名な花嫁道具になるといわれた高校に進学したが、軟庭は強くて有名で、勉強時間のこととか考えないまま入部した。だが一人だけ遠距離から通っていたせいで、みんなより毎日1時間は早くあがらなければならなかったこともあり、なかなか仲間にいれてもらえず、テニス自体もテニスが好きだからではなく勝つことが第一義になって、中学時代のように楽しいと思うことができなくなっていた。楽しい世界ではなく、厳しいだけの世界に感じていたから苦痛になっていた。勉強のほうも、最初は上位にいたのだが、勉強時間が少ないのだから自ずと落ちていった。

うちの高校は県では上位の常連だったから練習はかなり厳しくて、毎日練習がいやでいやで仕方がなかった。それなのに、途中ひざを痛めて休部していたのに、復帰してまでどうしてやめずに続けたのか、いまだにわからない。毎日毎日、いつまでこんなやりたくもないテニスの練習が続くのかと目の前が真っ暗な日々だった。早く3年間が終わればいいと毎日毎日思っていた。だが結果は、練習時間も少なかったのだが最悪ではなく、部員の中唯一インターハイと国体には出場し学校から表彰されたりした。しかしあの頃のことは今思い出してもつらくなるし、今でも時には夢にでてきてうなされる。

小学2年から始めた書道も(一度連絡せずに休んでしまい、破門されている。)どうにもならないタイトスケジュールの中、高3最後まで続けたし、部活で受験勉強の時間はいやおうなく削られたからそれによって自ずと進む道も違ったと思うのだが(悪い影響の方)、逆に言えばだから青短にいくことになり、そこで恩師にも出会い、チェースに就職し、いまのだんなとも出会って、為替にも出会ったというわけだ。

あの頃は決してテニスをどうしてもやりたくてではなく、ただやめるにやめられないという感じで、暗澹たる気持ちで続けていたわけだが、そのことがあとあとの自分の人生へと導いてくれたということも言える。こんなことをしていても、時間がどんどん奪われるだけだと思っていたことが、実はのちのいい結果を呼び寄せてくれたんじゃないかと思ったりもする。何が災いして、何が幸いするかわからないものだなと思う。

人生には、納得してやっていること、納得してないんだけどやってることがある(なにかがあると思っている場合と、やらざるを得ない場合)。そのどちらでも、精一杯やっていれば、それがいいことへ向かわせてくれるような気がしている。 死ぬ時に、どんな人生であっても、自分を生ききったと言えるかどうかー悔いの残る人生だけはお断りしたい。

外為どっとコム  高野由美子レポートについて 


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