2009年8月16日日曜日

軟式テニスー2

8/9のブログで、高校時代にテニスをどうして続けたのかわからないと書いたが、思い当たることがひと つあった。

私は小学2年生ぐらいから、母に言われるままに習い事をしていた。書道と珠算とオルガンの3つで、オルガンは週1だったが、あとの2つは週3回づつで、放課後友達と遊ぶということを知らず、忙しく走り 回っていた。オルガンは、ピアノになると先生が変わって遠くまで通わなければならなかったかで、1ク ール(1年ぐらいか)でやめていた。

書道は、厳しい先生で、小4ぐらいの時に一度無断欠席をしたら破門されてしまい、しばらくしてから母につれられてあやまりに行って再開したのだが、高校時代は遠距離通学をしながらの厳しい部活と勉強とでへろへろになりながらも、木曜日週1回でもとにかく卒業するまで続けて、最高段まで進み門下一になった。

珠算は、一級はかなりの難関だったが一気にそこまではいった。母にひとつの級をとにかく1回でパス しなければだめだと言われて、そんなものかと思ったのか、5年生で1級をとるまで全部一回でパスした。そこには、何事に対しても、次はないという厳しい姿勢で集中力をもって臨まなければならないという教え が含まれていたと思う。その後、段を練習し始めたのだが、まったく歯が立たないと感じ、中学ではテニ スに集中したかったので、自分で納得してそこまでと決めた。

この2つから、苦しさだけではなく、物事にとりくみ努力することで少しずつ上達する喜びを味わったのだが、その感覚は悪くはなかった。

そのような習い事や様々なことを通して、いったんこれをやると決めて始めたら、少なくとも何かをやったと言えるまでは途中で苦しくなっても安易にやめてはいけないということを母からたたきこまれたような気がしている。だからこそ、テニスも毎日が苦しかったのに、いったん自分でやると決めたのだからということがひっかかって最後まで続けたような気がするのだ。そういうことを続けて今に至っているわけだが、なぜかそれで損したとか失敗したとはまったく思わず、逆にそれしかなかったよな、よくがんばったなというのが今の感想だ。会社もそう、入って1年半ぐらいは、すべてがつらくて実家に帰る事を毎日毎日考えながら会社に通っていた。その時は、母はあまりの私のひどい状態を見て、いつでももどってきていいんだよと言っていたのだが、父は2年も続けられないようじゃ、なにをやってもどこでもだめだと言ってくれた。それは強く心に残っている。

テニスも会社も、やめていたら楽だったかもしれないが、続けることで得たものは身についていなかっただろうし、しょぼい人生になっていたような気がして仕方がない。どんなことでも、なにかすごいハードルを越えないと、次のレベルには到達できないようになっているらしい。苦しいと思った時点からが、ほんとうの勝負だ。そういう大事な姿勢を教えてくれた親にとても感謝している。

外為どっとコム  高野由美子レポートについて 

http://www.gaitame.com/info/takano.html